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Re:聖書の中の疑問点

 投稿者:高山裕行メール  投稿日:2010年 9月14日(火)13時02分13秒
  岩尾様
ご返事がたいへん遅くなり、申し訳ありません。早良きりスト教会協力牧師の高山です。
質問に関して、お答えしたいと思います。この二箇所の表現は、一見矛盾しているようですが、対象が異なるため矛盾してはいないと思います。
マタイの福音書18章22節はペテロが「人と人との関係」において何回まで許したらいいのかと、ある意味頓珍漢な質問をしたことへの答えです。イエス様は「人と人との関係」の中での「罪」は無限に許されるべきだとおっしゃっているのです。
それに対し、マルコの福音書3章29節は「神と人との関係」について述べられています。「聖霊を汚す」、つまり神を冒涜することは絶対に許されない。神以外のものを神としたり、偶像崇拝をしたりというのは「許されざる罪」なのだとイエス様は語っておられるのです。
マルコの福音書3章28節と29節を比較して読むと、このことがよく分かるような気がします。
答えになっているかどうか分かりませんが、今日はこれにて。
 
 

聖書の中の疑問点

 投稿者:岩尾 亘メール  投稿日:2010年 8月 7日(土)12時28分9秒
   はじめまして、岩尾亘と言います。愛知県に住んでいるクリスチャンです。今地元の教会に通っています。聖書の御言葉について疑問に思うことがありメールしました。マタイの福音書18章22節でイエス様はペテロの「兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」という問いに対して、「7度を70倍するまでと言います。」と言われたとあります。しかし一方で、マルコの福音書3章29節では「しかし、聖霊を汚す者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」と言われています。人間に対しては、7の70倍赦しなさい(何度でも赦しなさい)と言われる一方で、神御自身は赦せない罪があるという、何かおかしい感じがするのですが、どう思われますか?ご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。  

(無題)

 投稿者:村上  投稿日:2009年 3月 3日(火)00時39分37秒
  鈴木先生、おひさしぶりです。

お二人目のお子様の誕生おめでとうございます。
上のお子さんもずいぶん大きくなったのでしょうね。

私は福岡を離れ東京で洗礼を受けて2年半になろうとしています。
主に示された道は平坦ではありませんが、教会員のみなさんに励まされながらがんばってます。

福岡に帰った際は教会に寄らせてもらいますね。
 

お久しぶりです。

 投稿者:  投稿日:2008年 9月13日(土)22時19分0秒
  鈴木牧師さん、
元気で頑張っていますか。

私も静岡の地で、教会活動に励んでいます。教会付属の幼稚園では、学法化目指して頑張っています。お祈りください。
 

ご無沙汰してます&ご報告

 投稿者:松崎@平尾教会メール  投稿日:2008年 6月22日(日)23時05分12秒
   突然「ご無沙汰してます」といってもご記憶になく失礼かもしれませんが,私は昨年(2007年)9月に平尾教会で行なわれた連合青年会の「話す会」でお会いし,少しお話したこともある者です。

 1年も経ってから挨拶するのもなんですが,昨日(6月21日)に早良教会で行なわれた連合小羊会の集まりで平尾教会の子どもたちがいろいろとお世話になったそうですので,平尾教会を代表してというわけではないですが(そもそも私はそのような立場の者ではないので…。),お礼とあともう1つご報告することがありまして,掲示板に投稿させていただきました。

 ご報告といっても既にご存知かもしれませんが,昨日早良教会にうかがった子どもたちの一人が今日6月22日の平尾教会での礼拝にてバプテスマを受けました。その姉妹は3歳のときから,年数でいうと実に8,9年平尾教会に来ていたということで,長い求道の末バプテスマに導かれたことを平尾教会教会員一同神様に感謝し,そして心からそのめぐみを喜びました。

 あと,順番が前後しますが,5月18日の西南デー礼拝ではシャフナー宣教師にお越しいただき,祝福されたよきひとときを与えられました。そのこともあわせてご報告いたします。

 それでは,失礼致します。早良教会のみなさんの信仰の歩み,福音伝道の上に神様の祝福が豊かにありますように。

http://blogs.yahoo.co.jp/hirao_ch/

 

新緑の季節に

 投稿者:鈴木直哉メール  投稿日:2008年 5月14日(水)18時29分10秒
  私の敬愛する作家ヘルマン・ヘッセは、庭仕事を愛しました。

「土と植物を相手にする仕事は、瞑想するのと同じように、魂を解放させてくれるのです」
(「庭仕事の愉しみ」より)

私も、早良の地に来て10年。なれない土いじりも、だんだんと楽しみの一つになってきました。

最近も、家庭菜園の指導をして下さる他教会の姉妹が、夏野菜を植える手伝いをして下さいました。また、別の姉妹も、教会の庭に、「姫日扇」という花のプランターを持ってきて下さり、今日の夕方に、教会横手の土手に植えてみました。

いつかこの日記を目にした方も、ぜひ早良菜園にぜひお越し下さい。
 

新しい命が誕生しました。

 投稿者:鈴木直哉メール  投稿日:2008年 3月31日(月)07時16分8秒
  我が家に新しい命が誕生しました。
先週、二人目の子が誕生しました。なんと、一人目の子と全く同じ日の誕生となりました。
「偶然はない。全ては神様の必然だ」という言葉を聞いた事があります。

この子も、神様に喜ばれ、人にも喜びを与える人に成長してほしいと願っています。
ささやかな親心です。
 

神の家族として

 投稿者:鈴木直哉メール  投稿日:2008年 3月17日(月)07時15分1秒
  教会のメンバーは、神の家族です。

最近、わたしは、教会のメンバーは本当に神様によって集められた神の家族だと感じます。

もうすぐ私の家族(これは本当の家族ですが)に新しいメンバーが加えられようとしています。
赤ちゃんです。

教会員は、出産間近の妻の事を案じ、気遣って下さいます。何気ない言葉の中ににその事を感じ、「皆さん優しいなあ。本当に神の家族だなあ」と実感します。

家族であるので、いろいろな性格の人が集まり、趣味も異なり、時にぶつかる時があります。
しかし、家族であるがゆえに、いちばん大切な時に、一つになることが出来ます。

早良教会にもいろいろなメンバーが集められています。人との交わりの苦手な人、社交的な人、明るい人、物静かな人。

そういう異なる人たちが集まって、一つの神の家族とされていることって、素晴らしい事ですね。
 

試練について

 投稿者:鈴木直哉メール  投稿日:2008年 3月11日(火)15時32分22秒
  「試練を経験した事のない人は、希望が何であるかを知る事は出来ない」(マルチン・ルター)

ある時、わが教会の宣教師の先生から、一枚の絵葉書を頂きました。
ドイツ語で、上記の内容の言葉が書かれた絵葉書です。

ちょうど、牧師として行き詰まりを感じて、人知れず悩んでいた時の事です。

試練と希望。相反するような言葉ですが、試練を耐え忍ぶ時、希望の本当の意味が分かる。
希望を抱く時、試練の本当の意味も分かる。

最近も、試練について、希望について、しみじみと味わって毎日を生きています(生かされています)。
 

黄砂の飛来に思う

 投稿者:鈴木直哉メール  投稿日:2008年 3月 4日(火)06時39分1秒
編集済
  ここ数年、中国の砂漠化が深刻な問題になっています。
地理的に近い福岡は、春先の時期、黄砂の被害が大きくなっています。

これは中国だけの問題ではなく、日本始め先進国が、CO2の削減に努め、砂漠の緑化に取り組む問題でありましょう。

私の家族も、電気の消費を削減し、冷暖房を使いすぎない生活を心がけ、極力自家用車に頼らず歩くようにしています。

砂漠の問題が、他者を裁くだけでなく、自らの歩みを改める一歩となりますように。
 

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